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赤髭公ばるばろす。さんのイラストまとめ


戦国歴史と三好長慶と史跡を愛するおっさん。怖がりで恐怖画像や動画は苦手なのに怪談は大好きな変わり者。バース掛布岡田以来のライトな虎党。WWF時代のアメプロファン。
 ハイエース乗り。昔は車中泊好きだったが今は旅行する気力もない。
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「なんで足利義輝に無断で改元を?」
正親町天皇『三好長慶が
京都最強だったから』

「何故、織田信長に三職推任を?」
『信長が京都最強(略』

「何故、明智光秀の肩を持つような事を?」
『光秀が京都最強(略』

「なぜ、光秀を見限りました?」
『光秀が京都最強じゃなくなったから』

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大友宗麟は城攻めに“艦砲射撃”を用いた事がある

永禄三〜四年(1560〜61年)、毛利元就が領する豊前門司城を宗麟が攻めた際、豊後に来航したポルトガル艦隊に砲撃を依頼
 関門海峡東から門司城目掛けて数十発を撃ち込むも、成果は無かったらしい

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朱元璋『いいよ!胡惟庸!』
胡惟庸「獄にかけて獄に!」

…とかいう、下らないネタを朝起き抜け直ぐに思い付いた私はきっと疲れているんだと思う(

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本願寺顕如『この“悪人正機”の曲解は蓮如上人ほか歴代法主も諭してはいるが、乱世の悲しさか理解はされなんだ
一向一揆に限っては“造悪無碍”と言い、一度阿弥陀様を信仰すると決めたらどんな悪事を働いても極楽往生出来ると言い出した!
嘆かわしい事だ』

多聞院英俊「で、煽ったのは誰でしたっけ?」 https://t.co/NqagOECdhK

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大将首は首実検を終えた後、敵の御家が存続していれば返却されていた

添状の書式や首桶の材質から日取に至るまで古伝の儀礼作法があり、筋を通せば受け取り側も承諾するのが礼儀であった
今川義元や龍造寺隆信の首級もこれに則り返却されている

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武田信玄『平安朝の武士は一騎討ちが武勇の華で、この大袖を前面へ押し出しその陰に顔や正中線の急所を隠すよう斜に構えた
その構えは当に盾を押し出すものである
尚、大袖は陣羽織を着る場合は外すものであったそうな』

馬場美濃守「御屋形様、陣羽織の袖から何か見えてますが」

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生きている敵から獲った首級と死骸から取った首級は頸部の断面で判断できる

生きている敵は切断されまいと抵抗するし、動脈を切断すると血圧で断面が“はぜかえる”が、死骸は抵抗しないし血圧がゼロのため切断面に大きな特徴があったらしい

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「どうしてそんなにお金を欲しがるんですか」

山科言継『無いからに決まっておろう

御料所は横領されるわ内裏は白壁も荒れ果て京童が遊びまわるわ、公家は着る物にも困るわで散々だ
儀式の費用は勿論、帝は短冊に宸筆を認め売りに出すほどの赤貧であるぞ
…儂が金策に東奔西走したのも無理は無い』

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石山本願寺の最終兵器、“大坂之左右之大将”こと下間頼廉と雑賀孫一は討ち取られ、首を晒されたことがある

…もちろん、誤報。
織田軍が石山戦争の膠着状態に焦って偽首に騙された、あるいは虚報を流したと思われるが、一時はかなり話題になった模様

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本多忠勝『いつ見ても素晴らしい御紋です
…けど、絶対にこれは譲りませんからね』

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