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#戦国武将に学ぶをつけると胡散臭さが増す
戦国武将に学ぶ転職のタイミング
細川幽斎『収入源が枯渇し始めたら赤信号。教養と人脈は時流を読む助けになります』
藤堂高虎「時代のNo.1ではなくNo.2に気に入られると見動きしやすく、得られる情報が増えます」
@nobutoyo_tenkyu 山県昌景『副反応は初回より2回目が厳しいですぞ』
武田勝頼「どのくらい厳しい?」
山県昌景『鳶ノ巣山が落ちた後の設楽原』
武田勝頼「…そのこころは」
山県昌景『厳しいって判ってるけど前に進むしかない』
武田勝頼「座布団一枚」
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
関ヶ原の合戦後、東軍は関ヶ原の“掃除”をしている
規模の割に早く集結したこともあるが、国内で起きた最後の合戦から九年も経っていることもあり武将達の合戦流儀や風潮が変わった事が伺える
武田信玄は黒雲、上杉謙信は放生月毛…といえば各々の乗馬だけど、放生月毛はその後どうしたわけか、のどかちゃん…長坂釣閑斎が持っていたらしい
馬の寿命を考えて武田滅亡の頃には死んでいただろうけど、どんな気分で乗ってたんだろう…。
#甲陽軍鑑
上杉謙信(病『今日は八幡原の合戦の日だねぇ、晴クン(にまぁ』
武田信玄「“そっち”で出て来るな!
しかし、信繁がなあ…何でそこ刈り取ってくんだよ、畜生…。」
山本勘助「引き分け扱いされてますけど明らかに武田の勝ちですよね」
村上義清「悔しいが否定はしない。旧領復帰まだー?」
織田信忠『なお、父上は右大臣職を辞しはしましたが“正二位”は辞しておりませぬ
自身が辞職し、その職位を私に譲渡したいと朝廷に言上しておりましたし、単に引退世襲の準備をしていたのでしょうね』
織田信長「隠居したら、事ある毎に儂を拝みに来る公卿共の顔を見ずに済むからな」
『ええ…。』
武田信玄『なんでそのタイミングで帰るんだよ』
朝倉義景「雪降ったら越前に帰れなくなるんだよ北国脇往還で遭難するわ」
顕如「義景、おまえ近江坂本くらい抑えろよ!」
義景「雪降るっつってんだろ!」
浅井長政「一向宗、お前最前線な」
顕如『偶には前でろクソデブ」
長政「何だとこの、ハゲー!」
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
“信長包囲網”は足並みが揃わない時は果てしなく揃わない
信玄上洛開始と同時に帰国する朝倉義景、地元の一向一揆ばかり先陣に据えて顕如が苦情を言ってもハイハイって言うだけの浅井長政、大坂と越前で内部抗争する一向宗など、揃わない時はとことん揃わない