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余談ながら、愛宕山・白雲寺には6つの宿坊(子院)がありましたが、起請文の用紙としても使用された「熊野牛王符」に代表される「牛王宝印(牛玉宝印)」の頒布も行っており、添付画像はその内の宝蔵院が頒布した牛玉札です。#麒麟がくる #麒麟がくる最終回
今から10年ぐらい前に、カナダ先住民族(ファースト・ネーション)のアートに関するスレのまとめサイト(現在は閲覧不可)に出ていた画像を見て非常に興奮して関連書籍も購入したのですが、久々に見返してみても、このデザインと造形センスは、やはり堪りませんですね…。
@UtagawaBussoken 自由民権運動をテーマにした描写を主と考えた場合、明治20年代ごろのものではないかとも思われますが、概ね同時代に活躍した河鍋暁斎の骸骨図を彷彿とさせますね(描かれた方が直接参考にしたかは分かりませんが)
歌川豊国(三代目)「日本武尊、東夷征伐なしたまひ御帰陣の時、秩父岩倉山におひて土中を掘りうがち、其所に武具を蔵めたまひたる、是により此国の名を武蔵と号するといへり」(弘化元年~四年ごろ/1844~48)※「岩倉山」は武甲山を指すと思われる。#浮世絵 #秩父
@katsunomisanzai 国芳の作品で焼津の場面を描いたもの(構図としては概ね同じ)でも、天保前期の作品ですと、むくつけきお顔で髭あり、安政期の作品だと髭なしの優男だったりしますね。※国芳は安政2年頃に中風を患い筆力が低下しており、掲載図版はその頃の作品です(絵としての密度が低いのは恐らくそのため)