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歌川豊国(三代目)「日本武尊、東夷征伐なしたまひ御帰陣の時、秩父岩倉山におひて土中を掘りうがち、其所に武具を蔵めたまひたる、是により此国の名を武蔵と号するといへり」(弘化元年~四年ごろ/1844~48)※「岩倉山」は武甲山を指すと思われる。#浮世絵 #秩父
@katsunomisanzai 国芳の作品で焼津の場面を描いたもの(構図としては概ね同じ)でも、天保前期の作品ですと、むくつけきお顔で髭あり、安政期の作品だと髭なしの優男だったりしますね。※国芳は安政2年頃に中風を患い筆力が低下しており、掲載図版はその頃の作品です(絵としての密度が低いのは恐らくそのため)
【奪衣婆&姥神めぐり:その26】真言宗 豊山派・文殊院(東京都・板橋区)山門を入ってすぐ左手の閻魔堂に安置されていますが、表現に誇張が無く、かなりリアル寄りの造形となっています。なお、こちらには懸衣翁の像もあり、衣領樹とセットになっている点が珍しいです。#奪衣婆 #仏像
【奪衣婆&姥神めぐり:その6】真言宗 豊山派・西明寺(栃木県・益子町)「笑い閻魔」で知られる白目の閻魔様で有名です。なお、奪衣婆さんは正面の格子戸からは一部しか見えず、僅かに開いた壁の節穴から覗き見る形となりますが、玉眼が消失しているためアンデッド風味のお顔です。#奪衣婆 #仏像
なお、江戸後期~幕末期の浮世絵において、太閤記などの元亀・天正以降の武家や合戦図を描いたものに関しては掲載画像のように過去の合戦や人物に仮託した場面を描くことや、或いは人物の名前や地名をそれとなく分かるように仮名や当て字を使用する事例が大半ですので、鑑賞の際には留意しましょう。