夫をとるか?父をとるか?歴史に翻弄された十市皇女を紹介!なんだか最後ははかない雰囲気が
漂います…


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大友皇子の子(母は十市皇女)、葛野王が卒去。
享年三十七歳は若いですね。
本人も血統としては申し分ないレベルの人物ですが、高市皇子薨去後の皇位継承会議で親子間の継承を主張して軽皇子立太子を推し、もの申そうとした弓削皇子を一喝したという場面が有名です。

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天武天皇七年
夏四月丁亥朔、欲幸齋宮卜之、癸巳食卜。仍取平旦時、警蹕既動・百寮成列・乘輿命蓋、以未及出行、十市皇女、卒然病發、薨於宮中。由此、鹵簿既停、不得幸行、遂不祭神祗矣。

四月朔日条の続きにあるのでつい見逃してしまうんだけど四月七日は十市皇女の忌日でした。過去の夫婦絵で。

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うーん……私の名前は天上の虹の十市皇女から取らせていただいてるのですが…(笑)

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