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1月13日・命日
◆橋本 雅邦≪満72歳没≫◆
[1835年8月21日〜1908年1月13日]
狩野派に学び、狩野芳崖とは同門。フェノロサ・岡倉天心に認められ、新日本画の確立に尽くす。東京美術学校教授として横山大観・下村観山・菱田春草らを指導した。
先週ですが科博の後は東京国立博物館の総合文化展と国宝展へ
暁斎の山姥や観山の白狐など秋冬定番を眺めつつ根付の郷コレクションも②
下村観山「修羅道絵巻」3面4臂の阿修羅③可愛い。ラスボス!?④もちょっと優しそう😊
国宝展では普賢菩薩像、舟木本等の再会に感謝しつつ帰宅した✨
#Bura_Bi_Now
本日午後2時より特別展「阿波藍商の〈たからもの〉」の展示解説が開催されます。
なお、この展覧会は11月5日(土)から一部作品の展示替があります。上村松園《紅葉しぐれ》や下村観山《布袋》などの作品は、11月3日(祝)までの展示です。お見逃しなく!
当館1階で開催中の所蔵作品展「日本の近代美術と茨城の作家たち 夏」「視覚のふしぎ」も9/19(月・祝)まで!ご来場の際には、ぜひご覧ください。
#小川芋銭 #下村観山 #靉嘔 https://t.co/tAxVa4w0aW
【百年ニュース】1922(大正11)年9月5日(火) 第9回院展が開催される。初日は報道陣のみに公開。翌日より一般公開。下村観山《天心岡倉先生》,横山大観《夜》,山村耕花《蕾》などが人気。彫刻では佐藤玄々朝山の対策《木花咲耶姫》が注目が集まる。上野竹之台にて9月29日まで。https://t.co/bY138PyjPi
古代中国の時代に、俗世をさけて竹林に集い、清談を交わしたといわれる隠士七人の総称「竹林七賢(ちくりんしちけん)」は、昔から数々の作品に描かれてきました。
所蔵作品展1室では、横山大観や菱田春草らと共に、日本画の近代化に邁進した下村観山(1873-1930)の屏風《竹林七賢図》を紹介しています
画面中央は観音様。下村観山の1928年の作品「魚藍観音」です。しかし、この観音様のお顔どこかで見たことがあるような...?そう、彼女の顔はあのダヴィンチのモナリザをベースにしています。観山は留学中モナリザに遭遇。これに強い衝撃を受け自分の絵に取り込み、西洋画と日本画の融合を試みました。
美術館は、本日も開館しております。
日本画の繊細な表現にはいつも目をみはります。
こちらは花弁や茎の柔らかな様子を捉えた下村観山の《芍薬》です。
開催中の「桜の名画と初公開作品展~はじめまして、ときめきの春~」では、季節の花鳥画も紹介しています。
下村観山は「モナ・リザ」の顔をした観音を描いている。
留学中にルーブル美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルを模写したと考えられるが、その顔を観音にする発想がすごい。
「魚籃観音」西中山妙福寺、1928年
若き修行時代の下村観山。
師匠から「肘をついて線を引いてはいけない」と教えられ、懸腕法(肘をつけず描写すること)で必死に模写や作画をした。
やっとの事で綺麗な線が引けるようになったが、その時に師匠から、「実は肘ついてもいいんだよ」と言われた。
‥観山は稀代の筆の名手となった。。
五浦での岡倉天心は、よく釣りに出掛けていました。天心の作った釣舟には、画家の下村観山が白ペンキと黒ペンキでカモメを2羽描いたといいます。舟は、観山の絵にちなんで「かもめ」と名付けられました。