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永禄十二年(1569年)閏五月十一日
“曼殊院覚恕(後の天台座主)の御屋敷が屋根を葺き替えたとの事で挨拶に出向く
次いで甘露寺経元を訪ね、改元などについて話し合う”
山科言継『三好匠作殿の決めた永禄もはや十二年、そろそろ…え、近くに破れ奉行来てるの?』
#言継卿記 #たぶんその速水右近じゃない
永禄十三年(1570年)五月三日
“織田弾正忠殿(信長)を訪問、林佐渡守の取次で徳川家康・畠山高政・松永久秀殿と逢う。話合いの仔細説明を受け、徳川殿他三名に飯が振る舞われる”
徳川家康「言継卿も御健勝で何より(もぐもぐ」
松永久秀「ささ、一献」
山科言継『お、おう(なんだこの面子)』
#言継卿記
永禄十三年(1570年)四月三十日
“夜十一時頃、織田信長が越前攻めから京都に帰ってきたらしい。
武家奉公衆の松井康之殿が越前で怪我をしたらしく、愛州薬(火傷や打ち身の薬)が欲しいというので一包処方する”
山科言継『弾正忠殿も運が良い、鰐口を逃れなされた
はい、愛州薬。御大事に』
#言継卿記
永禄十一年(1568年)四月十五日
山科言継『午後二時頃、伏見殿(伏見宮貞康親王)が亡くなられた。御歳二十二歳のご早世は、言葉に出来ない…言葉に出来ない』
織田信長「嬉しくて?」
山科言継『悲しくてに決まっておろう、儂ゃ小田和正か』
織田信長「オフコース」
山科言継『もうええわ』
#言継卿記
永禄十三年(1570年)四月十四日
山科言継『蓮光院(烏丸光康?)の要請で織田信長殿に会うも“今日、がっぺむかつく事があった!!”というので帰る。
路上にて武井夕庵殿(信長の右筆)に会う。禁中見物に付き合う』
武井夕庵「災難でしたなあ言継卿…こんな日もありますよ…ささ、まずは一献」
#言継卿記
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